Concept

かつて、遠方からの客人(まれびと)をもてなした桝一本宅の座敷は「客殿」でした。小布施のような地方では客人の「訪れ」は、主(ぬし)はもちろん、家族や使用人にとっても小さな祭りのようなハレの日でした。それは知的刺激を受ける絶好の機会であり、重要な情報収集の場でもありました。

桝一客殿はこの歴史を現代の仕組みに焼きなおして、小布施に交歓の場を再現したいとの思いから生まれました。旅に、家族旅行に、ビジネス出張に、社内研修・会議に、そして御親戚の帰省に最適な新しいタイプのホテル。
「本来なら我が家にお泊りいただくべきですが…」の気持ちを、すべてのサービスの基本としています。
小布施のまちを、栗畑を、我が庭のようにお遊びください。

旦那文化

旦那文化

北斎を小布施に招き、滞在中の面倒を一手に引き受けた高井鴻山。それによって小布施にもたらされた文化遺産は今なお光を放ちます。日本の文化史において鴻山のような「旦那」の存在が、どんな地位を占めたかは今後の研究が待たれるところですが、どの地方でも「旦那」の行動や価値観が、異文化の翻訳・導入の役割を担っていたかもしれません。

葛飾北斎

小布施は「北斎の町」としても知られています。
最晩年の北斎が桝一客殿の祖である第十二代市村三九郎(高井鴻山)を訪ね、通算3年にわたって滞在し、制作した天井絵は現在も色鮮やかに見てとることができます。滞在の際に北斎に提供された宿舎兼アトリエは「碧軒」といわれ、桝一市村酒造場にはこれに因んだ銘酒、大吟醸純米生酒「碧軒」があります。

葛飾北斎

高井鴻山

高井鴻山

桝一客殿・桝一市村酒造場・小布施堂の祖である高井鴻山(1806年~1883年)は京都や江戸に遊学し、梁川星巌・岸駒・佐藤一斎などに学び、各界の名士と親交を結びました。葛飾北斎もそうしたなかの一人でした。帰郷後は郷土の政治・文化・経済・教育に力を注ぎ、佐久間象山・小栗上野介・大久保一翁・勝海舟らと親交がありました。

修景事業

小布施堂・桝一グループには修景事業という新しい会社があります。古民家の修復を本業とし、それを通じて奥信濃の農村や山村の景観を守ろうという趣旨のもと、若い建築家の卵たちで組織している会社です。江戸、大正、昭和期の建物で構成されている桝一客殿の建築工事を事業のスタートとして、古建築の材料知識や技術を習得しています。

修景事業